稲倉峠
歴史と生活感のある小径
読み方 | しなぐらとうげ | |
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標高 | 1010m | |
位置 | 長野県松本市 | |
道路 | 林道白張稲倉線 | |
水系 | 信濃川 | |
実走日 | 2002年3月30日(土) | |
地図など | Google Maps・地図院地図 |
稲倉峠は、松本市の七嵐と稲倉を結ぶ全舗装の林道峠である。実は古くに東山道として開かれ、江戸時代も江戸道として利用されたというが、今では地元民以外はまず通りそうもないように思える。保福寺峠と似た境遇なわけだ。
峠自体は、保福寺峠と違って雄大なものではない。むしろ花川原峠に似た、手入れの行き届いた林が印象的な、生活感のある峠だ。
当時、峠の北側は四賀村(東筑摩郡)で、この峠道は、四賀村と松本市の境界にある唯一の車道だった。松本市と四賀村の合併協議の中では、松本・四賀直結道路の建設が四賀地区を新市に迎える際の必要不可欠な事業
ということになっていたが(合併協議会の新市将来構想にある)、それは稲倉峠の改良というものではなくて、新しく2km程度のトンネルを掘ることにするというものだった。しかし合併後の2006年4月、その開削は断念された(広報まつもと2006年5月15日号)。
北側からは、国道143号線を保福寺峠に向かってそれて、その途中からまた右にそれるという形になるのだが、これが分かりにくい。大縮尺の地図があったほうがいいと思う。
しばらくはのどかな集落が続く。しかし勾配は過激。まあ、花川原峠の下りの会田の経験があるから、もう驚かないが。
集落が尽きるあたりに分岐があり、直進すると林道駒平線、右折すると林道白張稲倉線となる。もちろん右折する。
この林道白張稲倉線は、最初のうちだけちょっとした眺めがある。天気がもっとよければ、北アルプスも見えたと思う。
道はアカマツやヒノキやカラマツの混じる静かな山岳道路になった。人家もない。鬱蒼というのとはちょっと違うが、林に囲まれて全く展望はない。
林はなかなかきれいに手入れされており、美林という言葉がぴったりくる。どこからか木の香が漂ってくる。
北麓だが、さすがにもう路面に雪はない。もっとも、2002年は異様に春が早く、松本ではこの日にソメイヨシノが開花したくらいなので、例年だったらどうかわからない。
ヘアピンの途中に廃屋があり、それを過ぎると頂上。左側に稲倉峠の石柱と案内板がある。この案内板には、稲倉峠の歴史が簡潔にまとめて書かれている。おれはこれを読むまで稲倉峠はただの新しい林道の峠だと思っていたのだが、そうではなかった。
下りはところどころで茫洋とした松本盆地を見下ろすことができる。松本盆地のような小さなものに茫洋などという言葉を使うと平野人に鼻で笑われそうだが、本当にそんな感じだった。
ダム建設のような大掛かりな山腹工事や、普段目にすることのないゴルフ場(松本浅間カントリークラブ)を眺めたりもする。なお、写真でゴルフ場の向こうに見えるのは鉢伏山。
稲倉の集落まで下りると、峠道の入口の追分に江戸時代の道標がある。左江戸道、右みさやまと刻まれている。写真では後輪の足元にある小さな石がそれである(わからないかもしれない)。なお、みさやまとは、現在では国道254号線が直下を有料トンネルで貫いている三才山(三才山峠)のことだ。
2002年4月18日初版 / 2013年4月25日更新