兵越峠

意外と渋い、青崩峠の代替ルートの峠

読み方ひょうこしとうげ
標高1150m
位置長野県飯田市・静岡県浜松市
水系天竜川

実走日2002年10月14日(月)
地図などGoogle Maps地図院地図
関連書籍信州百峠

茅野から国道152号線を南下してくると、最後の峠は青崩峠である。が、実際には青崩峠には現在でも車道が通じていないので、代わりにこの兵越峠が一般に使われている。

ではこれは青崩峠を越えられない人が不本意ながら越えるだけの峠かというとそうでもない。難は交通量が多少多いくらいことくらいで、それ以外はこの地域に共通の山村と峠道の雰囲気を味わうことができる、いい峠だと思われる。また、毎年秋に行われている国盗り綱引き(信州軍と遠州軍が綱引きをして国境を決めるというイベント)の舞台はここである。

この峠の名前は、書籍信州百峠ではヒョー越(ヒョーごえ)、2003年10月20日の信濃毎日新聞のサイトでは兵越(ひょうごし)峠、(旧)水窪町のサイト(http://www.misakuho.com/)では兵越峠(ひょーこしとうげ)と、ばらばらだった。確か昔の道路地図にはヒョー越という名前で出ていた。しかしここでは鞍部にあった看板に従って表記は兵越峠とし、読み方は(旧)水窪町のサイトに合わせておいた(ただしひょーひょうに変えてある)。

青崩峠への道との分岐

飯田市(当時は下伊那郡南信濃村)の八重河内という集落(標高は430mほど)を過ぎると峠道が始まる。ここ以北の国道152号線は2車線ほどあったが、ここから南は暗い林に覆われた山腹にへばりついた完全1車線路。勾配もけっこうきつい。これは本当に国道かと思う。国道152号線を茅野から、杖突峠分杭峠地蔵峠と南下してきたわけだが、ここが最も整備されていない感じだ。

やがて青崩峠と兵越峠の分岐に到着。右折が国道152号線で青崩峠、左折が兵越峠だが、右折すると通過できませんよという標識が出ている。


暗い林の中の薄い朝霧標高1050m付近

おれは分岐を左折してヘアピンを上り、兵越峠を目指す。分岐の手前では全然気づかなかったが、左手のはるか下方の樹間に上ってきたばかりの国道152号線が見える。

やがていったん林を抜け、集落を走る。多少眺めはいい。その後は再び林の中になる。林は薄暗く、木洩れ陽が射すと薄い朝霧が白く輝く。樹種はヒノキが多い。

人気を感じなかった地蔵峠などとは違い、里山を走っているような印象がある。ちなみに交通量はしらびそ峠と同じ程度にはある。


鞍部

鞍部は右カーブの切り通し。峠の茶屋はないが、トイレはある。県境の峠だからか、やたらに看板が多い。

看板のひとつによると、武田信玄が遠江に侵攻するときには、本隊は青崩峠を越え、支隊がこの兵越峠を越えたとのこと。この看板の文章は、世の中の進歩が、歴史の道を、そして峠を、忘却の彼方に押し流そうとしているという文で締めくくられていた。兵越峠自体はそんなことないような。

また、切り通しの斜面には、兵越峠 標高1168mの看板もあるほか、国盗り綱引きで決めた国境も立札で示されている。綱引きで決めた県境は行政区画とは関係ない、という旨もわざわざ看板で示してある。

あとで越えた青崩峠北条峠の例も考えると、この地域の人はとても看板が好きらしいと結論される。ただ大津峠はそんなことはなかったが。


草木集落

下りは尾根の南側だけあって明るい。道幅は1〜1.5車線で、上りと大差ない。少し下ると道がばんと広がり、短絡路の草木トンネルのランプが始まる(とても立派である)。自転車では通れないのであわてて右側にそれる。

そこからは再び探訪派のためのルート。斜面に家があり、茶畑が家と家の間の斜面を埋め尽くす。飯田市の南部や天龍村のあたりの風景と変わらない。国境や県境と関係なく広がる文化圏のようなものに感銘を受ける。

道はそのまま山村集落の中を通っていくのかと思ったらそうではなく、今度は林の中の薄暗い峡谷走になった。交通量は少ないし、峡谷を洗う水も清冽。なかなかのものだ。そのまま水窪の市街地まで快走である。水窪の市街地の標高は260m程度。

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2003年1月30日初版 / 2010年4月7日更新