分杭峠
南アルプスの懐を行く未整備国道峠
読み方 | ぶんくいとうげ | |
---|---|---|
標高 | 1410m | |
位置 | 長野県伊那市・下伊那郡大鹿村 | |
道路 | 国道152号線 | |
水系 | 天竜川 | |
実走日 | 2002年10月12日(土) | |
地図など | Google Maps・地図院地図 | |
関連書籍 | 信州百峠・峠で訪ねる信州 |
分杭峠は、茅野から中央構造線沿いに南下していく旧国道256号線のうち、北から2番目に位置する峠である。全体的に未整備なままであり、山村探訪的な楽しみがある。また、観光シーズンでも中京圏からの観光客はあまり来ない(ように見受けられた)。
この峠の名前は、江戸時代に鞍部に建てられた従是北 高遠領の石柱によるとか。こういう由来に惹かれる人もきっと多いと思う。
この峠名の読み方にはぶんくいぶんぐいの2通りが見られる。書籍峠で訪ねる信州は前者で、書籍信州百峠は後者である。国土地理院の地図閲覧サービスや、2010年3月23日の信濃毎日新聞のサイトの記事も後者になっている。が、おれが現地で聞いたのが前者だったので、ここでは前者を採っている。
しかし近年ではゼロ磁場ゆえに気が豊富とかいうおバカ峠になってしまっているようだ。これについては、書籍信州百峠には記述がなくて書籍峠で訪ねる信州には記述があるから、そんなに昔に言い出されたことではなさそうだ。まあ、おバカなのは峠自体ではないので、気にしなければいいことだ……と思っていたのだが、上述の信濃毎日新聞のサイトの記事だと、そのせいで渋滞がひどくてシャトルバスが走るようになったというのだから、つくづく変なことで有名になる前に行っておいてよかったと思う。
おれは食料をほとんど持たないまま高遠から美和湖へ南下してきたのだが、買い出しできそうな店が見当たらず、大いに後悔してしまった。この辺は長谷村(当時(上伊那郡)。今は伊那市)の中心部じゃなかったのかなあ……と思いつつ美和湖のほとりを走る。道は広い2車線。ダンプが多い。
美和湖を離れると、じきにダンプも来なくなる。途中、市野瀬という集落でくみあいの店(A-COOPの仲間か)を発見。ありがたい。
なお、この市野瀬には生涯学習センター入野谷という立派な施設もあり、ここでは宿泊・入浴・食事もできるようだ。
ちなみに、市野瀬の標高は870m程度。高遠からはそれなりに上ったといえるかもしれないが、まだまだ峠の本番ではない。
市野瀬の集落を過ぎ、県道212号線を分けると、道はところどころ1.5車線も混じる未整備な雰囲気に。交通量は美和湖畔よりぐっと少なくなる。上りはだらだらとしたもので、そんなに急ではないはずだが、やけにきつく感じた。さっきの店で食料品を買い込みすぎたせいか。
標高1150m付近で、これまで寄り添ってきた粟沢川を離れ、いきなり山腹にヘアピンカーブで上りつく。このしょうがねぇなあ、そろそろ稜線に上んねぇとなあ的な道のつくりが何だか良い。
ヘアピンカーブが始まっても勾配が緩くなるわけではないが、俄然走りは楽しくなってくる。秋山の雰囲気がいっぱいに漂う。足元にはさっきまで走ってきた道を見下ろすことができるし、ところどころで長谷方面の眺めもある。また東側には鋸岳もぎりぎりながら見ることができる。
写真は、駒ヶ根市へ行く県道49号線の分岐直後で撮ったもの。この分岐点は中沢峠の鞍部でもある。
で、頂上。長谷方面の眺めはここからが最もよいが、鋸岳はもう見えない。いずれにしても、地図で見ているよりも、はるかに山深い印象がある。
こちらは、峠の浅い切り通しにある石柱と木の看板。前者には従是北 高遠領、後者には分杭峠 標高1424米と記されている。
しかしこの石柱、やけにきれいなのだが、江戸時代に置かれたオリジナルのものではないのだろうか。
下りは、上りのようなヘアピンはないが、1.5車線の未整備な道が谷間に続く。北側よりさらに山深く、南アルプスの懐という感を強くする。
途中、中央構造線北川露頭がある。駐車場から少し歩くと崖があり、青味がかった地層と赤茶けた地層が接しているのが見られる。おれは中央構造線とはもっと幅の広いぼんやりしたものだと思っていたのだが、この両者の境界こそが中央構造線で、その位置はミリの単位で言えるものらしい。
鹿塩のあたりからは道幅は多少広がる。伊那盆地への出口である落合まで下ると標高は670mあまり。
なお、さらに南下した大河原の集落には、中央構造線博物館がある。丁寧な説明が聞けてためになる。国道152号線の旅の興味も倍加するので、おすすめしたい。
2002年10月21日初版 / 2010年4月7日更新