御斉峠

閑雅な不思議峠

読み方おとぎとうげ
標高580m
位置滋賀県甲賀市・三重県伊賀市
道路滋賀県道138号線(滋賀県側)
水系淀川

実走日2015年4月26日(日)
地図などGoogle Maps地図院地図

御斉峠は滋賀県南部の信楽から南の伊賀盆地に抜けるところにある峠だが、そのメインルートは別にあるので(国道422号線)、なかなか静かな雰囲気がある。本能寺の変の際に徳川家康の主従が三河に逃げるために通過したというのだが、現地はあまり歴史の道という感じはない。鞍部近くにある展望台からは伊賀盆地の眺めがよい。全体として、どこか関西の近郊にあるとは思えない浮世離れした感じがちょっとある。まあそれは、麓の信楽や、さらにその麓の水口あたりにもあったものだが。

峠の名前の由来は、鞍部にあった看板によると、鎌倉時代に臨済禅の高僧夢窓国師が、伊賀三田の空鉢山寺へ来られた時、この峠で村人が接待(斉(とき))したことから出ているといわれているとのこと。そういえば確かにおれの実家でも葬儀のときの食事会はおとき(おとぎ、ではない、後述参照)と言って確かお斎と書く。共通語なのかどうかは知らない。

この峠名の読み方は、地理院地図によれば「おとき」なので、最初はそれに従っていたのだけれども、伊賀市在住の方から私の住んでいる伊賀市では御斉峠は、おと ぎ とうげ と読むのが一般的だと思いますというご指摘をいただいたので、地元優先ということで、そう改めることにした

神山の大戸川の橋 その名も「良い子の橋」

おれは信楽から南に向かって峠を目指した。山あいの信楽の小さな市街地を国道307号線で通過する。信楽駅の標高は283.1mである。

駅前を通過して少し進み、左にそれて信楽高校の脇を上っていく。この一角は信楽幼稚園と信楽小学校と信楽中学校と信楽高校が集まっているが、さすがに信楽大学はないようだ。

大戸川に向かって下り、国道422号線にぶつかるところでまたそれて神山(こうやま)の川べりや集落の中を行く。少し行って神山の交差点で国道を横切って県道334号線に入る。県道とは思えないような狭い道だ。まだ集落が続くがキジの声がする。


渓谷沿いの道

じきに集落は終わって川沿いの上りになる。渓谷自体はきれいだが水はあまり澄んではいないかもしれない。なかなかの隘路だが意外と交通量がある。県道だからだろう。

しばらく行って、やや腹が減ってきたので少し早いが渓谷の岩の上に座って昼食にすることにする。時間帯の関係かどうか、少し交通量は減ったようだ。


多羅尾河川敷のV字型のシダの群落

さて続きを走ろう。しばらく渓流沿いに進むと、それまでの隘路がちょっと信じられない感じだが、小さい集落がある。多羅尾という地区のようだ。川べりにVの字型のシダがたくさん生えている。あまりに特徴的な風景なので、最初は何かを育てているのかと思ったが、場所が水をかぶるようなところなので、それはないと思う。

そのあたりからは道は広くなり2車線になる。シダが並ぶ独特の風景はまだ続く。このあたりだと思ったが、筒井峠アセボ峠で見たありがとうございますの標柱がある。大阪ナンバーの車がぽつぽつ停まっていて、川べりで山菜か何かを探している人々がいる。山菜の乱獲禁止、というような看板が出ているのだが、この人たちがしていることがそれに該当することなのか、そもそも河川敷での行動をその看板が規制できるのかどうかは、おれにはわかりかねる。


峠の入口の標識乾いた田んぼ

しばらく進むと←3.0km 御斉峠の標識があり、六呂川のバス停がある。標高は459m。

左折して進む。まだ道は広いままである。ちょっと意外だがこんな山の中に市営住宅のような長屋的な建物がある。それを過ぎるとまだ水が張られていない乾いた段々の田んぼが続く。


絶景展望台の標柱

少し行くと切り通しの鞍部に到達するが特に何もない。これで終わり……? あっけないな、と思いつつ少し休んで走り始める。しかし、そこからも田んぼの脇の上りは続くのだった。あれ……? 騙された?

その上りをクリアすると今度は本当らしい広い鞍部に出た。何だか整地されているようで殺風景ではある。右側に多羅尾御齋の杜という標柱があるほか、小高い丘に階段が伸びており伊賀盆地絶景展望台という標柱もある。絶景展望台? 名前か? これが展望台の名前なのか? まあ、行ってみようか。


絶景展望台からの眺め

その階段は1段あたりの段差が大きくてなかなか疲れる。てっぺんにたどり着くと、しかし、その甲斐あって展望は素晴らしい。

左側には盆地があり、上野の市街地が見える。中央から右側にかけてはもこもことした森になっており、ゴルフ場や池があるが、全体としては深い緑で樹海のように見える。展望案内図(手描きなのだがこれもなかなかいい感じに味がある)によるとこの森は月ヶ瀬方面のようだ。なお名張の市街地までは見えない。


鞍部

しばらくそれを眺めたあと、階段を下りてまた自転車で進む。ほんの少し行くと徳川家康伊賀越の道という標柱と仕置場跡の看板が出ている。これは江戸時代の処刑場跡ということだ。

自転車を置いて歩いて行ってみる。林の中を少し下ると墓がある。処刑は12月20日に行われたというのだが、こんな山の中のその時季は淋しいものだったに違いない。どのくらいの人数が処刑されたのかは看板には書いていない。

さて自転車に戻ってまた進むとすぐに三重県伊賀市の標識があった。道の右側には御斉峠の名前の入った案内看板もある。うぉ……おれは2度騙されていたのか! ここが本当の御斉峠の鞍部なのだ。

地形図をよく読むとわかるが、滋賀県側ではこの峠道は鞍部の直前で2回川筋を取り替える。そのせいでこのように2回も騙されたのだった。


伊賀盆地を見ながら下る

出発する。さっきのような素晴らしい眺めを見つつ行く区間は、ないことはないがそれほど長くはない。林のへりの断崖の明るい道が続く。道幅は1.5車線ほどか。けっこう標高があるせいか下りはそこそこ長く感じる。

しばらく行くと突き当たりに出る。ここは右折だ。2車線の川沿いのやや暗めの林の中の急な下りが続く。9%の標識がある。

やがて道はようやく盆地に出る。関西本線をまたぎ越して突き当たりに出る。標高は150mほど。

おれはここから名張まで走ったが、上野から名張まで市街地が連続しているなんてことは全然なかったのだった。道路を選べばそこそこ楽しめるだろう。比較的西寄りを行くコリドールロードは、北海道的な高台の畑地の中を行くところがあり、まあまあおすすめ。

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2015年10月1日初版 / 2016年12月1日差替