矢筈峠

落ち着いたダートの峠

読み方やはずとうげ
標高1240m
位置徳島県三好市・高知県香美市
水系吉野川・物部川

実走日2008年11月1日(土)
地図などGoogle Maps地図院地図

矢筈峠は京柱峠の隣に位置し、祖谷山とかつての香美郡物部村をつなぐ林道峠である。つなぐと書いたのには少し含みがあって、ただ木を伐り出したり観光に出かけたりという以上の使われ方をしていそうに、実際の現地の印象からは思われたのである。

道は徳島県側がダートで高知県側が舗装。したがって自転車で行くならば徳島県側から上るのが楽である。

なお、笹峠という名前もよく使われているようだ。笹越という峠も近くにあるので紛らわしいのであるが。さらにはアリラン峠なる異名もあるそうだが、呼び名として実際に使われているかどうかはわからない。

笹峠という名前は、物部側の地名がだからだろうと思われる。なお、現在の鞍部付近には笹原があったりはしない。

昔、昭文社ツーリングマップルが刊行されるようになる前、ツーリングマップという、より小型の地図が出版されていた。その中国・四国版の巻末にはその地域の白眉たる道路が写真とともに紹介されていたのだが、その中のひとつにこの矢筈峠があった。とても写真が美しくて、ずっと忘れられない峠になっていた。それで、秋晴れの日を狙って走ることにした。

樫尾の国道439号線

おれは徳島側から上った。その場合、国道439号線に祖谷渓から来た県道32号線がぶつかる地点が峠道の開始ということになろうか。標高は490mほど。分岐の道路標識には京柱峠 笹峠と書いてある。

ここからしばらくは前に京柱峠から下ってきた道と同じ道である。小川、樫尾といずれも味のある山村集落を抜けていく。通行はほとんどなく、ときどき生コンのミキサー車が上がってくるくらいだ。山村には人の気配がないわけではなく、地元のおばあさんが散歩しているのを幾度か見かける。


林道入口

樫尾の集落を過ぎて林の中を進んでいくと、どうやら矢筈峠への分岐らしいところに差し掛かる。標識には右折が大豊と京柱峠で、直進が大土地(おおとち)とある。直進は看板によると林道樫尾阿佐線。いったいこれは正解なのだろうかと悩んだが、地形図から判断してこれしか考えられないので直進する。

少し行くとまた看板があり、この先林道谷道線から分かれた先の笹峠は山腹崩壊の恐れがあるので全面通行止で、したがって大栃(旧物部村の中心街)へは抜けられない、と書いてある。当時のおれは矢筈峠が笹峠とも呼ばれていることを知らなかったからとても混乱した。

いずれにしても、さっきの道路標識の大土地というのは大栃のことらしいと見当はつく。誤植なのか、それともそういう表記もあるのか。いずれにしても大栃はおおとちではなくておおどちと読むはずなのだが……。


背後の山への眺め

少し行くと道はダートになる。白い路面が印象的である。砂利が浮いているということはないが走りやすいというほどでもない。しばらくは左手後方に上ってきた谷の向こうの斜面の眺めがある。

ここまで何台かの生コンのミキサー車に抜かれて、この先で道路工事をやっているんじゃないかと不安だったのだが、途中でミキサー車が停まってエンジンを唸らせている現場を通り過ぎた。砂防ダムか何かの工事のようであった。


紅葉と谷道川の渓谷

じきに上ってきた谷への開けた眺めはなくなり、谷道川の渓谷の道になる。

祖谷山林道の看板を過ぎ、少し行くと道はゲートでふさがれていた。その右に支線のような道が延びている。ちょうど同方向に来ていたRV車のおじさん達(結局峠で会った唯一の通行者となった)と地図を比べ合い、峠は右の支線だろうと結論する。しかしそのすぐ先にワイヤーゲートがあり、自動車は通れないので彼らは京柱峠回りで行くと言って引き返していった。おれはワイヤーの下をくぐって上り始める。標高は950m。

ところで、これから向かう峠が笹峠と呼ばれていることは、彼らに聞いて初めて知ったのであった。おれが地図には矢筈峠という名前で載っていると告げると、それでもいいな、すぐそこ土佐矢筈(山の名前)だからということだった。


落ち葉を踏んでいく紅葉の山中を行く

そこから先はますます人の気配はなくなり(当然だが)、空は広くなり、山腹の地味な紅葉の眺めはよくなってくる。落ち葉を踏み、しんとした秋の山の空気の中を走るのは実に楽しい。

通行止ではあるのだが実際に通行不能そうな区間はない。一部、発光板が取り付けてある箇所があり、山腹が崩れたら光るということだったのかもしれない。


上りの道鞍部

しばらく行くと再びワイヤーゲートがあった。ここで通行止区間は終わりである。振り返ると右手奥に山頂が白っぽく枯れた草原になっている山が見える。地図によると天狗塚か。

ここにはわかりにくい分岐があり、直進すると支線に入ってしまう。左に折り返すようにして峠を目指す。彼方の山の風景が去ると道はやや単調になる。ススキの穂の突き出した道を上る。やがて林道交通安全ののぼりが見え、道が舗装になると同時に脇に駐車場が現れる。そしてすぐそこが鞍部である。

ここには右側に矢筈峠という木の看板がある。朝鮮人労働者によりアリラン峠とも呼ばれたが、正式名称は矢筈峠である、という旨の森林管理署による説明書きもある。笹峠という名前については何も書いていない。


土佐矢筈山

鞍部からの下りでは、南側の眺望は開けるが、逆光の山また山の茫洋としたものだ。太平洋は見えないようである。後方にはやはり白っぽく枯れた草原の尾根が見えるが、先ほどの山とは位置が違う。よく見ると草原の中に白い岩がぽつぽつと頭を出している。名前の出ていない地図も多いが、これが土佐矢筈山であるらしい。

やがて道はスギの薄暗い林と広葉樹のやや明るい林の中を交互に進むような感じになる。意外にも(南側斜面であるのに)上りよりも暗い感じである。路面はぱりぱりではないが新しい舗装である。


笹渓谷

しばらく行くと小さな村落を過ぎる。そしてやがてとても美しい渓谷(笹渓谷)沿いの道になる。残念ながら渓谷にはあまり陽が当たっていない。

自転車を停めて渓谷の写真を撮っていると、RV車が通りかかって停まり、ワイヤーゲートの前で会ったおじさんが顔を出した。結局遠回りではあったが笹峠を越えてこれた、と言う。そんな道はどこにあったのだろうかと思ったが、後で考えてみると、通行止区間の直後に合流してきた前述の支線を京柱峠から走ってきたとしか思えない。

しばらく行くと左から西熊から来た県道217号線が合流してくる。標高は260m。そのあたりから少しずつ谷は広がってくる。正面に永瀬ダム湖の水面がきらきらと光っているのが見えてくる。あたりの風景も斜光線の中で何だか立体的に見え、どこか鉄道模型のような風情である。

やがて大栃に到着して峠道は終わる。ここは旧物部村の中心街である。標高は200mほど。

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2008年12月22日初版 / 2015年1月8日更新